【愛猫の旅立ち】お別れのあいさつをして行った梅 無償の愛を教えてくれたかけがえのない存在

白猫の梅(うめ)が2024年9月29日に旅立ちました。

5歳と11か月、突然のお別れでした。

この記事では、梅が旅立つ前に私たちにお別れのあいさつをしてくれたことをお伝えします。

予感はしたものの、そのときは打ち消したのです。

しかし、あとになって思うと、梅は自分の旅立つときを知って、あいさつをしてくれたとしか思えません。

別れのときは必ず来る

5歳と11か月、突然のお別れでした。6歳のお誕生日を翌月に控えた目前、梅は旅立ちました。 病気がわかってから1週間、覚悟なんてできないままに。 旅立つ前の日、入院していた病院で、すっくと立って、ケージの奥から手前に出てきてか細い声で何度も、何度も鳴いたのです。 生き物が命を終えるときの悟ったような表情、自分の運命を受け入れたかのような姿、梅は命が終わることがわかっていたのだと思います。
5歳と11か月、突然のお別れでした。6歳のお誕生日を翌月に控えた目前、梅は旅立ちました。
病気がわかってから1週間、覚悟なんてできないままに。
旅立つ前の日、入院していた病院で、すっくと立って、ケージの奥から手前に出てきてか細い声で何度も、何度も鳴いたのです。
生き物が命を終えるときの悟ったような表情、自分の運命を受け入れたかのような姿、梅は命が終わることがわかっていたのだと思います。
愛猫の旅立ち。愛とやさしさを教えてくれたかけがえのない梅とのお別れ。
愛猫の旅立ち。愛とやさしさを教えてくれたかけがえのない梅とのお別れ。ありがとう、梅ちゃん。これからも梅は私の心の中に生き続けています。

猫を飼うと決めたときから、この子らを看取るまで責任をもつと決意していました。

生まれて2か月で知人から白猫の梅とサバトラの福、2匹を譲り受け、一緒に暮らして5年と9か月。

私が70歳くらいになるまで、この子たちは元気でいてくれると、根拠のない思い込みをぼんやりといだいていました。

ところが6歳のお誕生日を翌月に控えた目前、梅は旅立ちました。

病気がわかってから1週間、覚悟なんてできないままに旅立っていきました。

覚悟なんてできていなかった

白猫の梅(うめ)は5歳11か月で旅立ちました。腎不全でした。
白猫の梅(うめ)は5歳11か月で旅立ちました。腎不全でした。ツンデレでおてんば、おねえさん気質のやさしい女の子でした。

病院の先生には重篤な腎不全といわれたけど、治る可能性がゼロだとは告げられれていませんでした。

入院と通院の選択を迫られましたが、入院を選びました。

まだ望みはあると信じていました。

少なくとも数か月は生きられると望みをつないでいました。

しかし、調べれば調べるほど、猫の腎臓病それも末期(ステージ4)の治癒のむずかしさを知って、もっと早くに気づいてやれなかったことが悔やまれてなりませんでした。

6歳を迎えたら猫ドックを受けようと、準備していた矢先のことでした。

6歳を待たずに猫ドックを受けていたら、後悔先に立たずとはこのこと。

お別れのあいさつだった

白猫の梅(うめ)、お別れする日が来るなんて考えてもいなかった頃。
白猫の梅(うめ)、お別れする日が来るなんて考えてもいなかった頃。物陰から顔を出すおちゃめな子でした。

旅立つ前の日、お見舞いにいったとき

梅の顔色は青白く、耳のピンク色も血色が失せて肌色に。

おうちにいたときの元気でおてんばな梅とは別人のようで、おもわずオットに問うていました。

「ほんまに梅やんな?!」

 

もう立つ体力さえも残っていないような状態だったのに、

すっくと立って、ケージの奥から手前に出てきてか細い声で何度も、何度も鳴いたのです。

弱々しい目の光、細い声で、しかししっかり私の顔を見て鳴いてくれました。

体が小刻みに震えていて、けいれんをおこしていました。

しんどかったね、そんなつらい状況で、声をふりしぼって。

 

予感がよぎったものの、ことばに出したら現実になりそうで、ぐっと胸に飲み込んで家に帰ったのです。

あとでおもえば、あれはお別れのあいさつでした。

「おかあさん、おとうさん、福ちゃん、ありがとう。梅もう行くね」

生き物が命を終えるときの悟ったような表情、自分の運命を受け入れたかのような姿、梅は命が終わることがわかっていたのだと思います。

旅立ちの朝

梅(うめ)がよく登っていたロフト。今でもここに梅がいて見ているような気持ちがしています。
梅(うめ)がよく登っていたロフト。今でもここに梅がいて見ているような気がしています。

翌朝7時前、枕元で着信音が鳴りました。

画面にはどうぶつ病院。

知らせだと覚悟しました。

心肺停止のことばが胸にずしんと突き刺さる。

こんなに早くお別れがくるなんて、思ってもみなかった。

着るものもとりあえず、病院に駆けつけると

処置台の上に横たわる梅。

まだ体はあたたかい。

目は開いているが反応はない。

梅の意識が遠ざかっていく。

梅に覆い被さって泣いた。

声の限り、梅にありがとうのことばをかけ続けた。

病気に気づいてあげられなかったこと、謝った。

先生の話では、梅ちゃん、最後まで体を横たえることなく、香箱すわりで気丈におすわりしていたと。

気高くてプライド保ったまま、梅は旅立ちました。

旅立つときを選んで逝った

梅(うめ)が旅立つ1か月前。福(ふく)と気が合い、福はおねえさんの梅に体を預けてくつろいでいました。
梅(うめ)が旅立つ1か月前。福(ふく)と気が合い、福はおねえさんの梅に体を預けてくつろいでいました。後から思い返してみると、この頃にはかなり痩せていて、腎臓病が進行していたことがあとになってわかりました。

梅は私たちの仕事が忙しいときや、旅行で不在にしていたときを避けるように、時期を選ぶようにして旅立ちました。

2024年はいろんなことがあり、私もオットも感染症やコロナにかかり2か月近くも後遺症に苦しんだり

オットも私も仕事が忙しく自分のことで精一杯だった時期もあり。

9月になってようやく落ち着きを取り戻し、これから猫ドックの準備にもとりかかろうとしていた矢先のことでした。

後悔とごめんなさい

梅(うめ)と福(ふく)は、相性が良く2人の世界を築いていました。
梅(うめ)と福(ふく)は、相性が良く2人の世界を築いていました。
梅(うめ)は福(ふく)と同じ景色を見て、同じ空気を吸って、5年9か月を我が家で過ごしました。
梅(右:女の子)は福(左:男の子)と一緒に同じ景色を見て、同じ空気を吸って、5年9か月を我が家で過ごしました。

梅は福と一緒に我が家に迎えてから、5年と9か月。

梅は福と一緒に暮らし、6年足らずの命の中で、嫉妬・やきもち・譲り合い・やさしさを身につけていきました。

2人はとても相性が良く、おねえさん気質の梅は弟分の福をかわいがり、毛づくろいをしたり寄り添って寝たりしていました。

2人だけの世界を築き、強い信頼関係で結ばれていました。

梅は、猫として大きく成長した一生を送りました。

梅は福と寝るときも一緒。いつも2人で1組の仲良しねこさんでした。
梅は福と寝るときも一緒。いつも2人で1組の仲良しねこさんでした。お互いがお互いを必要としていました。
野良猫のすずを迎えて、3人の世界になり、梅は遠慮しながら、時には不機嫌になってすずにシャーッと威嚇もして、それでも現実を受け入れていこうとしていました。
野良猫のすずを迎えて、3人の世界になり、梅は譲ったりやさしさを見せ、時にはじゃじゃ馬のすずにシャーッと威嚇して、それでも現実を受け入れていこうとしていました。

1年前に、野良で1か月の赤ちゃんの黒猫「すず」を迎えることになりました。

我が家の裏庭で雨の日の夜じゅう鳴いていて、翌朝保護。

すずを迎えたことで、梅と福の2人の濃密な関係が3人の世界になり、関係性も変わっていきました。

大好きな福とだけいられるのではなく、子猫のすずが梅にちょっかいを出してストレスを感じていたシーンもありました。

短期間の間に環境の変化があり、ストレスかけてかわいそうなことしたなって思います。

でも、最後まで我慢強く、私たちに心配かけないように旅立った梅がいじらしくてなりません。

 

8月の終わりに撮った写真ではかなり痩せていて、腎臓病が進行していたことが後になってわかりました。

もっと早く病院に連れて行けばと悔やんでも、遅かったのです。

私は死ぬまで、梅の十字架を背負って生きていくと決めました。

代わりのいない存在

梅が旅立ってしょんぼりしていた福(右側)も、1か月近く経って少しづつ元気を取り戻してきました。すず(左)はまだ子どもなので、梅がいなくなったさみしさはまだわかっていないように見える。
梅が旅立ってしょんぼりしていた福(右側)も、1か月近く経って少しづつ元気を取り戻してきました。すず(左)はまだ子どもなので、梅がいなくなったさみしさはまだわかっていないように見えます。

梅を見送って、我が家の猫は福とすずの2人になりました。

しかし、梅は梅だけ、代わりのない存在、かけがえのない存在です。

どの猫も梅のかわりにはなれません。

猫も人間と同じ、一人ひとり違います。

他のどんな白猫を見ても、梅の代わりにはなれない、「梅は梅だけ」だったと強く思います。

旅立ってから気がつくなんて悔しいけど、梅が残してくれたメッセージを忘れずに、福とすずに還元していきます。

おかあさんは未熟な人間で、梅にじゅうぶんなことしてあげられなかったけど、

梅からもらったやさしさを大切な人にお返しできるよう努力します。

梅のことはこれからも心の中で生き続けています。

ありがとう、梅。

おかあさん、おとうさんのおうちにきてくれてありがとう。

 

梅を見送ってから涙の乾かない日はありませんでしたが、この本を読んで救われました。

獣医師の視点から綴られた実話は、ペットを見送った飼い主のこころに寄り添ってくれます。

猫は旅立ってからも飼い主のそばにいる

飼い主があちらの世界に行くときには迎えにきてくれる、と書かれています。

私もそのときを楽しみに、梅と過ごした日々を宝物に、今を精一杯生きていきます。

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